ゲームとかの話

ゲームを中心としたヨタ話 ……だったんだけど、アニメとかプロレスとかの話が増えてきました。昭和生まれオタク話ブログってことで。

ブラウザ三国志系のゲームデザインにはそろそろ名前を付けたほうが良い (戦国大河の感想)




前回、王俺をディスったわけですが、戦国大河を始めたからってのもあります。
(※Top記事がディスり記事だったので、しばらく非公開にしてました)

とりあえず、現状まわしてるのは↓な感じです。

モンスト→ログボ踏むだけの日々
王俺→なんだかんだ続いている。たぶん連盟盟主やってるから。
シャニマス→なんとか、デイリー回収だけは続けてる
QMA→アニソン検定に心が折れてやめそう

こないだSteamで安売りしてたCiv6とニーアオートマタを休みの日にやるかやらないか、くらい。
先日購入したPSVRはエロ専用機ですね。テレビに映さないで良いのが良い。

 

さて、戦国大河のざっくり感想を。

Travianブラウザ三国志のデザインをスマホに持ってきてくれてありがとう。

宣伝でもそう言っといて欲しいよね。
単なるランキングゲーじゃなくて、ミサイル打ち合い系陣取りゲームですよって。

そろそろこのゲームデザインに名前をつけたほうがいいと思うんですよ。
建設して占領するみたいな雰囲気で、Construct and Occupy とかどうでしょうか。略して C&O みたいな。
名詞をつないだほうがいいのかな。 Construction & Occupation みたいな。どの道、略すと C&O になるわけですが。
ハクスラ」みたいな、日本的略称が発生しやすい言葉が理想ですけどね。


・ゲームバランスは微妙かも

まだ1シーズン目が始まって半月?1ヶ月?みたいな状態なのでなんとも言えませんが、一点、武将の成長曲線について。

ランク9の土地を殴れるようになった途端にレべリングの速度が異常に加速します。
バランスカーブのとり方がおかしいように見える。。

これは、名声0状態で殴ったときに経験値がもらえるバグ(がユーザーの反発により仕様になった)の影響がでかそうです。
そもそも、ランク9の土地をこれほど高頻度で殴れる想定ではなかったはず。

パラ調整担当者は頭を抱えているんじゃないでしょうかね……。
バグを仕込んだプログラマーをどれだけ恨んでいるだろうか。
仕様ミスだとしたら自業自得ですけど。

サービスインしたばかりのこの時期に、プレイヤーが活用していた挙動を潰すことは、確実に運営批判・炎上案件になるので、ゲームデザイン担当企画の判断より運営判断が優先されてしまうのは致し方ないですね。私だったらブチキレてますが。

バランス崩壊は、地味に、しかし着実に客足に影響する部分なので、これからの調整も大事です。
コンテンツ消費が当初の想定に比べて確実に加速してしまっているので、「レベルカンスト武将を早々にそろえること」が当面のエンドコンテンツとして機能しなくなった。
時間で定期的に湧く「強敵」のありがたみも、想定に比べて、相対的にだいぶ低下しているはずですから、褒賞のあり方も再考せねばなりません。

とはいえ、基本的にはギルド間戦争ゲームなので、無理やりエンドコンテンツを用意する必要もないのかもしれませんが。


・全チャを見るにつけ、ネットの民度が上がったなあと実感

全体チャットのあるゲーム全般的にそうなんですが、変なのが湧かなくなりましたね。
プレイヤーにも、そういうのはスルーという文化が根付いている。
システム側のフィルタリングとか運営とかがこなれたと言うのもあるでしょうが、ネトゲ黎明期の頃を思うと隔世の感がありますな。

 

・シーズン更新時のスタートダッシュを見越した仕様変更

>兵無し出兵(武将単騎攻撃)が不可能に
>出兵できる兵士の数が施設によってキャップが掛かるように

このへんは、シーズンを重ねた状態(=武将が育った状態)で、新シーズンを始めたときの資産格差の影響を考慮してのことでしょうね。
ブラ三では、高レベル騎兵で高レベル遠隔地をいかに確保するかのレースゲーの様相を呈してましたから。

新シーズンが始まったらどうなるんでしょうね。開発陣のドキドキは如何に。


・活躍したければ課金必須?

いくらか支払えば、期間限定で「VIP」状態になれるんですが、これが強い。
経験値2倍、生産1.8倍、即帰還が無料で使い放題。

でも、無課金でちくちく育てていても、戦争のときには戦力になれるかも?くらいに落ちついている可能性もあるので、様子見でもいいかもしれません。

 

・UIはまだ粗め?

スマホ実績のないデザインのゲームなのでしょうがないですが、UIは若干の粗みを感じます。

もともとPCの画面要素で構成されたデザインなので、スマホに落とし込むのは相当大変でしょうし、かなり頑張っていると思います。

が、VIPモード中の即帰還で、ノーコスト・ノーリスクなのに3タップさせるあたり、まだまだ改善の余地がありますね。

この辺はバージョンアップで問題なく改善できる部分でしょうから、粛々とお願いします。

 

 

総じて好感触なんで、ぜひとも運営さんには頑張ってほしいところ。

 

「王に俺はなる」に見る、スマホゲーの中華デザイン


どこかでやまもといちろうセンセがレビューしていた中華ゲー「王に俺はなる」をしばらく回してみたので、デザイン上の特徴をいくつかピックアップしてみます。
https://games.app-liv.jp/archives/362648

複数タイトル当たった訳では無いので「王俺」に特徴的な仕様なのかもしれないことを予め断っておきます。


■課金周りについて

▼課金報酬は基本的に成長ブーストアイテム

このゲーム、ユニットガチャがありません。


▼課金実績によって特権が設定されている

課金額が一定額に達すると、永続的に有効な割引購入権がえられる仕様になってます


無課金では絶対に入手不可なレアユニットが存在

上記の課金実績特権とも連動しますが、累積課金額が一定値に達することで支給されるレアユニットが存在します。
徐々に必要課金額が上昇していく訳ですが、先が見えないので私は課金をやめました。
Googleアンケートモニターでコツコツ2000円くらいかな。会員レベル2。
会員レベル2までの実績と3までの必要額から推測するに、おそらく、最高峰の織田信長とかチンギス=ハンとかに必要な額は数万~数十万になるんじゃないでしょうか。
それだけの額を支払えば確実に手に入る、ということはある意味良心的とも言えますが、額があまりにもおかしい。

ガチャは5000円ずつコツコツブッ込むという仕組みで、射幸心を煽ってうっかり課金させる仕組みな訳ですが、正直集金装置としてはガチャのほうが優秀に思えます。
目先の500円で手に入る確率がゼロな訳ですから、試しに課金してみようか、という気にならないわけです。

この辺はお国の違い=法律の違い みたいな面もあるんだろうと思いますが。


▼課金ヒートアップ要素はランキング

強力な成長アイテムや新ユニットの入手の為にはランキング上位に入る必要があり、ランキングで上位に入るためには課金アイテムの仕様がほぼ必須になっています。
そういう意味では、継続的に課金し続けなければ全く楽しくないデザインとも言えます。
デイリーで支給される課金トークンを貯めて貯めて、「今回だけがんばる」プレイも可能ですが、毎回ランクインできる継続課金者とは雲泥の資産差が生まれる構造。

ゲームの中でくらいは、頑張ったら報われたいのに、リアル金持ちに絶対勝てない仕様。これはひどい


■提供側から透けて見える「お金ちょうだい」感が気持ち悪いのは、日本のスマホゲーと同じ。

パッケージタイトルとか月額課金のMMOとかだと、提供サイドの「楽しんで欲しい」「達成感を得てほしい」という意気を感じられることが多いです。
作り手の「これって面白くないですか?」というコンテンツとしての真っ当さが伝わってくる。

確かに楽しませてもらっているので、それなりのお金は払いましょうよ。
だけど、お支払いいただけないですか?とのリクエストに対して気持ちよくお金を払えるようにしておいて欲しいものです。

「勝ちたいでしょ?ならお金ちょうだい」というデザインの品のなさは、ガラケ時代のソシャゲに通じるものがありますね。
課金ガチャに品があるかどうかはともかく。

運営も含めて、そのあたり一時期までは、モンストはうまくやってたなあ、と思い返さざるを得ない今日この頃。


なんか面白げなスマホゲーは無いものか。。
シャニマスはまだ続いてますが、iPhone環境だとどうにも遊びづらいので、家でしかやってないです。
PC用ブラウザゲーという位置づけなんだよなあ。

 

 

 

■おまけ~SNS連動キャンペーンが課金必須な仕様(お通スキンキャンペーン振り返り)

https://twitter.com/Alt_Genzui/status/1067312425223958528

https://twitter.com/Alt_Genzui/status/1067312425223958528

 ふつうこういうキャンペーンて、無課金でも行けるように設計するじゃないですか。

ですが、フタを開けてみれば、実は課金キャンペーンでした、というオチ。

ハードルがたけえたけえ。

 

ああひどい。無課金は消えろってことですね。無課金が課金者のモチベーションを下支えするのだ、という私の理論とは真逆なキャンペーンです。

 

これは奇しくも私の理論への挑戦でもありましょう。

 

 

無課金者を振り落とすスマホゲーには未来はないと思います。

(私は課金してますけどね)

ジョジョ好きに絡まれたときの対処法

実は私、「ジョジョ」というワードに接すると、心の警戒レベルが1段階上昇してしまう病気にかかってたりするんですよ。

ジョジョの奇妙な冒険 という作品自体は、まあ別に、普通に面白い少年漫画だね、くらいの認識です。個人的評価は、65点ってトコでしょうか。

  • 普通にジャンプ漫画してて面白い
  • 独特なバタ臭い絵が個性的(嫌いではない)
  • コマ割が変で読みづらい

みたいな。

 


別に単行本を買うほど好きでもなく、ジャンプを買ってた時期には飛ばさずに読んでたくらい。
後になってマンガ喫茶かなんかで最初から6部くらいまで通して読んでみましたが、まあ評価はそんなに変わらず。

 

f:id:Genzui:20160610191817j:plain

ジョジョを読んでいる私の写真(嘘)

 

 


で。

なぜかジョジョって熱狂的に好きな人たちが居るじゃないですか。
私、あいつらがダメなんですよ。
ジョジョが万人に受け入れられるという前提から入って来る。
オタクに片足突っ込んでる人間ならジョジョは語れて当然、みたいな。

 


よくある会話のパターンがこちら

 

ジョジョ好き(以下「ジョ」)「ゲンズイさあ、ジョジョって読んだ?」
私「まあ、嗜む程度に、人並みには」

ジョ「じゃあ何部派?」
私「は?」

ジョ「何部がいちばん好き?」
私「あんましわからんけど、キャラ属性的にはリサリサがいちばん良かった……かなぁ」
ジョ「かーっ。2部派かー!シブいね!!俺はやっぱり3部!」

……


まず、なんでジョジョを読んだことがある人間ならお気に入りの「部」が存在するのが前提なんだよ。
ていうか、読んだことあったら好きになる前提かよ。

そこまで好きじゃねーよ。富樫先生のほうがよっぽど好きだよ。
てか、俺はエヴァオタだっつってんだろうがよ!アンノスキーなんだよ!


自分は理解できてないですが、おそらく「ジョジョ」が一部の人に謎の熱量を持って支持されているのって、擬音の使い方が独特とか、人体を変な構図・ポーズで描いたり(=ジョジョ立ち)とか、独特な台詞回しとか、漫画表現の斬新さ的な部分かと思うんですよ。
それでいて、スタイリッシュ感があって、洋楽ネタとか散りばめられていてオシャレ感があって、昭和のマンガの汗臭さがなくって、みたいな。

言うなればそれは前衛芸術にも近い部分があって。
アバンギャルド。ギャランドゥじゃない。

でも、前衛って、メインストリームに対する前衛なのであって、あくまで本道ではない訳ですよ。

つまり、私が日ごろジョジョ好きに思うのは、局地的な評価を一般化して、あたかも普遍的なものであるかのように語るのはやめてくれ、ということ。

 

で、過去に試みた反撃には下記のようなものがあります。

 

私「コマ割がナナメ過ぎてイラつく。たまに読む順番がわからなくなる。」
ジョ「キミは細かいなあ。几帳面な人?」

私「女の子がスジばっててかわいくない。」
ジョ「ジョジョはそこを愛でる作品じゃないんだよ」

 

いずれも、彼は私への布教活動をやめてくれなかった訳です。
おそらく、彼が認識しているジョジョの本質にダメ出ししたわけではなく、私がジョジョの本質への理解に届いていない、とでも思われたんでしょうかね。
いや、実際に届いていないんですが、こっちには理解する気もないわけで。

 

 

という訳で、

「別にジョジョは読んだことあるけど、特別な思い入れなど持っていない」
「ざっと読んだけど、細かい話の内容までは覚えてない」
みたいな人向け、ジョジョ好きに絡まれたときの対処法は無いものかな、と。

ジョジョ布教者に絡まれたときに、どう対処すればいいのか思い悩んでいる今日この頃。

 

あの人、歳とらない妖怪じゃん

話題を荒木先生にズラして、ジョジョの話題から逃げるパターン。
土方歳三に似ているネタを経由して、幕末ネタに派生させてもいいかもしれません。
ただし、幕末派生で語れるネタを持ってない人は厳しいかもしれませんね。


スタンドとかいきなり出てきて、設定が行き当たりばったり過ぎる

話の転がし方をダメだしして、真っ向から否定しにかかるパターン。
2部までは波紋の力で能力バトルしてたのに、なんだよ、スタンドって。召喚バトルじゃねえかよ。という展開。

ただ、これは私には使えないかな……。
念能力とかいきなり出てきたハンター×ハンターが巻き添えを食ってしまうので、そこにダメ出しできないです。
ていうか、ジャンプものを全否定しちゃうので、このカードを切ってしまうと何のオタ話もできなくなります。

それよりサンデーの話をしようぜ!
って言って、あだち充とか高橋留美子の話に持っていくのは相当ハイレベルなオタトーク力が必要かと。


紙面が汚くて受け付けられない

画風を全否定するパターン。
これは、漫画好きを相手にするとき、たまに使います。
描き込みすぎて、画面が黒く、全体的に読みづらい。的な。
このカードを切ると、同じく描き込み系のマンガも巻き添えを食らうんですが、ハンター×ハンターは画面が白いから巻き添えを食らいません。


別にジョジョがどうこうって訳じゃないけど、それほんとに好きなのかよって奴らが絶賛してるのを見るとイラつく

ジョジョ話をネタに社会風刺に持っていくパターン。
ニワカのニワカ語りがいかに醜いか、という話にすりかえます。
例えば、エヴァ話にすり替えて、いかに世のエヴァオタがエヴァを理解していないか、を力説できれば、相手を傷つけることなく、かつ自分がいかにディープなオタクであるかを証明できるでしょう。

ただ、布教者本人を直接ディスらないように注意しましょう。あくまでディスりの対象はふわっとした架空の「ニワカ」とそれを持ち上げる世間。
「ディープなジョジョ好き」に対する敬意は忘れちゃダメです。

相手に、ふと我に帰ってもらい、「俺ってニワカ的なスタンスでジョジョを礼賛しちゃったりしてないだろうか?」と自己批判の念まで抱かせることができれば大勝利です。


ジョジョ立ちとか、コマ割とか台詞とか、「だから何?」としか思えない

自分にはジョジョの良さが理解できないのだ、と卑下するパターン。
独特と言えば確かに独特なんだろうけれども、その独特な部分を評価する審美眼を自分は持っていない、という点を伝えてあげます。

ドラゴンボールとかワンピースとか、わかりやすい俗物向けのマンガ、素人でもわかるようなものしか面白いと思えない、というニュアンスを伝えて、相手に「自分はジョジョという高尚な表現を理解し、良いと感じることのできる選ばれた人間なのだ」と、選民意識を持たせてあげてください。

ただ、間違ってもエヴァとかガンダムとか、「人を選ぶ」的な雰囲気のある作品を引き合いに出してはいけません。
相手は同時にエヴァオタだったりガノタだったりする可能性もあるので、「エヴァが理解できるなら、ジョジョも理解できるはず」と、布教意欲をよりいっそう掻き立ててしまう可能性があるからです。


だからジョジョ好きは嫌いなんだ

転じて、布教者を直接ディスるパターン。コイツとはオタ友として切れてしまって構わない、という相手にしか使えない、禁断の封じ手です。

犬好きや猫好きを例に挙げて、「人類全てが犬好きであると思い込んでやがる。傲慢だよ。」と大上段に切って捨てましょう。
ジョジョを布教してくる奴って、みんなそれと一緒。全人類がジョジョを好きになれると思ってやがる。」と、これ以上のジョジョ話をシャットアウトしてしまいましょう。

ただし、人格攻撃にならないように注意してください。
その傲慢さは、アナタ個人の問題点ではなく、ジョジョ教信者の全てがそうなのだからアナタのせいではないですよ、という抜け道を残しておくことがポイントです。

先に挙げた、ジョジョ好きの選民意識をくすぐるテクと複合させると、より効果的かもしれません。

 


ジョジョの前衛的な部分を否定する

ジョジョ布教者に布教を諦めさせる最終奥義。

富樫先生にしろ、絶対神庵野秀明にしろ、先行作品の熱いところを上手く換骨奪胎して、良さを抽出しているから神なのである。
表現が、何人ものフォロワーの解釈を経て、洗練されてこそ良い作品は生まれるのだ。

……といったところを力説しつつ、ジョジョの前衛的な部分を自分は全く理解できないことを伝える方向に持っていきます。
自分の好きなものがいかに素晴らしく、それがジョジョの特徴といかにかけ離れているかを力説しましょう。

がんばってください。その熱量こそが、布教者に「あ、コイツやべえ宗教にハマってる」と思わせるのです。
オタとしてのディープさを感じさせつつ、ジョジョ教とは相容れないことを理解してもらうことができれば、彼はもう布教してこないに違いありません。

 

 

 


でも、いざ身構えてみると、実践の機会がなかなか訪れないんですよね。昔はあんなに布教されたのに。

この歳になると熱烈な布教活動にあうこと自体、減ってきましたし、殊更ジョジョを普及させようという人もいないのかもしれませんし、
この歳でオタ素養を持っているなら、既に教化されているのだろう、と思われているのかもしれません。

 

いちおう念押ししておきますが、ジョジョがダメって訳ではないです。
ちゃんと面白いし、独自性もある。でも、その独自性の部分が好きになれない人もいる、ということで。

 

 

リアルタイムレンダリングムービーをどう呼ぶのか問題

 

前回、「カットシーン」を引き合いに出してあーだこーだ言ったわけですが。

そもそも、「カットシーン」ってどれくらい一般的な言葉なんだろうと思った今日この頃。

というわけでリアルタイムレンダリングムービーシーンについて、何て言えばいいのか、ちょっと考えてみたわけです。

 

 

wikipediaでは、「リアルタイムレンダリングムービー」が、採られているようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC

また、プリレンダも含むムービーの呼称として下記を挙げています。

FullMotionVideo(FMV)
Cutscene(カットシーン)
Cinematics(シネマティクス)

また、「リアルタイムレンダリングムービー」の呼称として「インタラクティブムービー」の語も紹介されています。


ですが、「リアルタイムレンダリングムービー」って長くて使いづらい。現場ではつかえたもんじゃないわけです。
略称もしっくり来ませんね。なので使いやすい言葉を捜したい今日この頃。
プリレンダリングムービーのほうは「プリレン」がある程度定着している感があるので、「リアレン?」
うーん、しっくり来ません。

 


ネットを探してみると、「ポリゴンデモ」略してポリデモ という言葉がちらほら見受けられます。
MetalGearSolid関連での言及とセットのことが多いので、コナミ(コジプロ)では「ポリゴンデモ(ポリデモ)」と呼ばれているのかもしれませんね。

また、UnrealEngineでは、シネマティクスと呼んでいるようです。しかし、「カットシーン」だったり「シネマティックシーケンス」だったりという語も登場するので、エンジンの機能の名前を意図して使っている可能性もあります。

ごく一部の記事では「ポリ劇」という言葉も出てきます。こちらは出所不明。


用例採集

「リアルタイム」
https://blog.goo.ne.jp/beat-beat/e/bcaff4401700e62f62d4664be98cc956
2006年8月の記事。

「リアルタイムレンダリングムービー」
https://cgworld.jp/feature/201611-cgwcc2016-sega.html
CGWorldの記事。公共性の高い場ですから、「リアルタイムレンダリングムービー」といっています。
「リアルタイムレンダリングムービー」が今のところ正式名称なようですね。

「ポリゴンデモ(ポリデモ)」

https://www.konami.com/mg/archive/mgs_tts/japanese/intro_index.html


「ポリ劇」

ポリ劇 ゲーム業界用語大便利帳 プリレンダとリアルタイムの違いはこんなにあるのだ | 姫子さんのゲーム天守閣!

こちらは、「ポリゴン劇」とは言わないんですね。

 

 

カットシーン」

Choke Point | 【コラム】カットシーンがゲームに与える悪影響とは?

前回も引用したこちらの記事。主に海外で使われているようです。
ただ、この場合、プリレンダを含むムービーシーケンスの事全般を指して使っている可能性もありそうです。
ちなみに筆者の現場では、リアルタイムレンダリングムービーを指して、この「カットシーン」という言葉を使っています。

 


皆さんの現場では、「リアルタイムレンダリングムービー」の事を何と呼んでいますか?

バストアップ紙芝居はもうたくさんだ

 

ゲームとかの話 とか言いながら、最近アニメとか映画の話しか書いてなかったんでゲームの話を。

 


カットシー
http://www.choke-point.com/?p=10659

上記リンクの筆者はカットシーン大嫌いな模様ですが、本稿とは関係がないです。

リアルタイムムービー、とかポリゴンデモ、とか言ったりします。正式名称が定まる前に、いろんな会社でローカルネームが乱立して、正式には何と言えばいいのかよく判らないんですよね。。。

 

 

さて、カットシーンである。

定義としては、
・ゲーム用モデルを使用
・ゲームプレイシーンからは切り離された、映像を眺めるシーン
・リアルタイムにレンダリングされる(ゲームプレイシーンと同じ描画方式である)
といった感じ。


リアルタイムレンダリングであることの利点は枚挙に暇がありません。
(ゲームプレイ上の利点)
・プレイヤーがキャラクターに施したカスタマイズを反映させられる
・ちゃんと制御系を実装すれば、ある程度のインタラクションを持たせられる
(制作上の利点)
・モーションデザイナーのみで作成可能
・モーションデータのみで容量が軽い
・各種モデル(特に背景)は流用が可能。流用って言い方が悪いですが、制作したデータの有効活用ですから!
・つまりコストが安くて、大量に作れて、組み込める

欠点もあるが、最近はリアルタイム描画のクオリティが上がってきているので、結構目を瞑られていると思います。
プリレンはプリレンで、結構デメリットが大きいので、基本的に最近の据え置きゲーのムービーシーンはほぼ全てカットシーンで作られていると思っていいでしょう。
伝統的にオープニングとエンディングはプリレンで作る、というスタジオもありますけれども、ムービーシーンを全てプリレンで制作するとかは、正直ありえないレベル。


さて。
本稿で何が言いたいかと言いますと、据え置き系のハイエンドゲームにおけるカットシーン論ではなく、モバイル向けの「軽い」ゲームにおけるストーリー語り演出についてであります。

近年はスマホゲーでも開発予算をかけて、3Dキャラをガリガリ動かすタイトルが増えてきました。
端末の能力も強くなってきてますからね。
でも、ご多分に漏れず、シナリオ進行は、2Dを背景に、「立ち絵orバストアップキャラがパクパク喋っているだけの紙芝居」で進めてしまう。

いくらなんでも、いい加減そんな20世紀の遺物とはおさらばしようぜ!
せっかくアニメチックなかわいい3Dモデルを作っているんだから、背景を3Dにして、カメラワーク効かせて、少しリッチなお芝居を見せてくれよ。

画面の下の方にテキスト表示ウィンドウが出てきた瞬間に、全力でスキップボタンを押す癖がついてしまいましたよ、こっちは。
読むだけで脱力してしまうような糞テキストなんか、延々と読んでいるほど暇じゃねえんだ、こちとら。

だけど、キャラクターたちがしっかりお芝居してくれるなら話は別だ。せっかくいい声優さんを使っているんだ。
声優さんのお芝居に負けない、動きの芝居も見せて欲しいのですよ。


さて。
最近のスマホゲーのあり方として、キャラに思い入れを抱いてもらって、その思い入れパワーを原動力に、ガチャ課金に100万突っ込む……という感じじゃないですか。

だったら、ストーリー語り、設定語りのパートはもっと気合入れましょうよ。

プリレンとか、フルスクラッチ2Dアニメ(たぶん)なんかより、安く作れるんだからさあ。


最近 Witcher3 をやったんですが、あんな感じのカットシーンで語りを入れてくるのであれば、問題なくストーリーを追う気になれるなぁ、と思った次第。

 

 

ピッチパーフェクトは共和党映画。民主党ってやっぱりしゃらくせえ。

ピッチパーフェクト、いいですね。以下、PP。

 

アマプラで2作目まで観て、サントラ買っちまって毎日聴いてますよ。

 

というのが2年前の話。

 

3の公開はいつなんじゃい、と待っていたんですけど。

今年アメリカで公開されていたんですが、なかなか日本に来ないんでブルーレイを輸入したりして、全裸待機していたわけです。

そしたら、ちょっと目を離しているすきに、日本公開が終わっていたショック。

先週までじゃんかよ、チクショウ。

 

 

で、海外版ブルーレイは日本語サポートしてなかったので、3の筋はさっぱりわからん状態なわけですが、アマプラに1作目が復活していたので久々に見返していて思ったのが。

 

この作品、共和党なんすよ。

大体のハリウッド映画が民主党なんですね、価値観が。

 でも、PPは共和党。マジ共和党

共和党って、ほら、頭悪いじゃないですか。

 

でも、私はこっちのほうが共感できるんですよね。

しゃらくせえおためごかしなんざくそくらえ ってな具合で。

 

映画公開終わっちゃったんで、3作目の日本語ローカライズ版のアマゾンビデオ待ちですけれど、とりあえず、2作目までの素朴な感想ってことで。

 

 

 

「オタク」属性主人公論 【弱虫ペダルとシンカリオンの感想】

■ ○○オタであるというキャラ属性

キャラクターが出てくるコンテンツ(=アニメとか)において、作劇上、魅力あるキャラクターにするためには、 何らかの弱点を持たせるべき という鉄則があります。

凄腕の暗殺者だけれども、猫を見るとかわいがってしまう、 というような。


その弱点が原因で窮地に陥る、 というストーリー上の要請からだけではなく、読者・視聴者にとって、そのキャラクターが自分と同じ側の人間であると感じるために、 価値観を部分的にせよ共有させることが主な目的です。

 

往々にして、物語の登場人物は、読者・ 視聴者とは異なる考え方で行動します。

地球の敵と戦ったり、 スポーツで頂点を目指して鍛錬したりする訳ですから、一般の読者・ 視聴者とは決定的なところで価値観がズレてしまうのは致し方ありません。

我々凡百の一般人としては共感しづらいキャラクターになってしま いがちです。

したがって、読者・ 視聴者の感情移入の依りしろになるべきキャラクターの演出を行な うにあたっては、読者・視聴者に「こういうところは私と似ている/納得できる」 と共感してもらい、感情移入してもらう必要があります。

 


ここまでが前提。

 


近年、この手のキャラクター設定に「重度の○○オタクである」 という属性を持たされた主人公が増えてきているように感じます(今期シンカリオンを観てて、 弱ペダを一気に観たちょうどこのタイミングが変異点である可能性 は否定しきれないですが)。

 

さて、この「重度の○○オタクである」という属性。
いくつか検討しておきたい問題を秘めてはいないか、ということで、軽く考察を試みてみたいなと。

 

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本稿では、「シンカリオン」と「弱虫ペダル」の事例を引いて、主人公の特徴的な属性として「(重度の)○○オタクである」 ことについて論じてみたい。

■ オタであるということは、「性格」ではなく「ライフスタイル」 である

ここで、ひとつ着目しておくべきは、「○○オタである」 という属性は、身体的特徴でも、 思考の独自性という意味での性格でもない。
○○という趣味に重度に傾倒している、 というライフスタイルがキャラクター属性になっているのだ。

これは何を意味するか。 何らかのオタクを自認する諸兄には自明のことと思われるが、
これは、取りも直さず、「 人生におけるリソースの少なからぬものを趣味に投じている」 ということである。
そして、この場合の投資物とは、ほとんどの場合「時間」である

オタレベルが高ければ高いほど、裏でそのレベルに見合った「 時間」を消費している、 という設定面の裏側にまで想起せずにはいられないのだ。

-「小学生」設定のヌルさとシンカリオン

さて、「シンカリオン」において、主人公・速杉ハヤトは「重度の鉄道(・新幹線)オタク」の少年として描かれる。

日常生活において彼が新幹線知識を涵養している時間は、 戦闘訓練等に代替可能なものである。
つまり、「シンカリオンに乗って戦う」 という彼の主なミッションに対して、一生懸命ではないのだ。
少なくとも、速杉ハヤトは彼の総てを賭けて戦っている訳ではない。
シンカリオン」という作品において、パイロットたる「適合者」 たちの日常は普通の小学生のそれとさほど変わらない。
超進化研究所の大人たちの、 古典的でブラックな労働環境との対比においては、明確に「ホワイト」な待遇である。
待遇がホワイトなればこそ、「重度の新幹線オタとしての速杉ハヤト」が成立するのである。

加えて、彼らは、新幹線が変形するロボットを操縦して、敵と戦うことを任務としている。
これは、相当程度に主任務と趣味としてのオタク分野が一致していると捉えることができる。
冷静に考えれば、新幹線知識がロボットによる戦闘においてどれだけ寄与するかは甚だ疑問であるが、演出・作劇の宜しきを得て、 シンカリオンではそれがさほど表出されない。 新幹線オタとしてのレベルを高めることが、「 シンカリオンに乗って敵と戦う」 ことの訓練として寄与しているかのような錯覚さえ覚えさせるのである。


シンカリオン」における、新幹線オタであるということと、 何らかの使命を背負う者であることのかみ合わなさは、 この二点において巧みに糊塗されていると言える。

 

-部活モノとしての弱虫ペダル

視点を転じて「弱ペダ」である。主人公・小野田坂道くんは重度のアニオタである。
彼の場合、佐倉あたりからロクに進まないママチャリで秋葉まで毎週往復していた、というアニオタならではの基礎鍛錬が、ロードレースというフィールドにおいて開花したという立て付けに なっている。
彼は、晴れて自転車競技部に入部し、メキメキと頭角を現し、インハイ優勝まで成し遂げてしまうわけだ。
しかし、彼は「アニメ好き」はともかく、アニオタとしてのレベルの維持・涵養にも余念がないのだ。
それまでと同様に、小野田坂道はアニメに金と時間を費やしているのである。自転車競技という金のかかる競技に自らの本道を見出しているにも かかわらず、だ。

これは、従来型スポコン物からの大いなる逸脱である。
局地的には猛練習の様子が描かれてはいるが、 本質的に小野田の練習量は大したことがないのである。

劇中においても、注意深く観てみると、小野田の「強さ」の源泉として、「努力」や「練習量」が挙げられることは無い。
彼の強さは、ママチャリで鍛えたケイデンスという身体的な素質を除けば、専ら「オーダーに応える」や「一歩一歩進む意志の強さ」という、精神的な強さ(もしくは性向)として語られる。
箱学メンバーや手嶋の強さにおいて「努力」「練習量」というキーワードが頻発するのとは対照的だ。

小野田坂道は、そのキャラクター像から「天才型」「エリート」といったイメージを抱きにくいキャラクターである。
しかし、「努力」「練習量」をその強さの源泉とする強敵たちを、 ロード初心者が「素質」「意志力」といった「日々の積み重ね」 とは直接的には関連しない要素で打ち負かしていくのだ。
小野田のライバル・真波山岳こそが天才型に見える。しかし、彼もまた努力型である。授業をサボってまで自転車で山を登っているのだ。時間の割き方が尋常ではない。

弱虫ペダル」とは、言わば「才能」で「努力」を蹂躙していく物語とも言える。

持てる小野田が持たざる努力家たちを蹂躙していく。そんな構図の物語を、「重度のアニオタであるロード初心者」 という設定が、あたかもその逆であるかのように見せている。
弱虫ペダル」では、ふんだんに回想シーンを用い、 ライバルたちの「過去」を語る。彼らが何故、自転車に乗るのか。何故ロードで勝たなければならないのか。
一方で、坂道の過去は全く語られない。当然である。アニオタとして生きてきた訳であるから、自転車やロードレースに対する思い入れがないのである。

奇しくも手嶋が語るように、才能のない者は努力するしかない。 経験とは、凡才が唯一積み上げられるものである。

 


「ロードレースに青春を賭けた若者たちが、天才・小野田坂道に、いかに敗れていったか」


これが弱虫ペダルの主題である。小野田坂道という天才を軸とした青春群像劇なのだ。

天才・小野田坂道を主人公に据えて作劇する訳だから、一片たりとも坂道を「悪者」にしてはならない。
彼のパーソナリティはイラつかないギリギリの線で卑屈(謙虚というには坂道のそれは卑屈すぎる)であり、 しかし素直であり、そして明るい。

重度のアニオタであるという設定は、彼を「良いヤツ」 と大いに示す属性でもある。
しかし、冷静に考えると小野田坂道という天才の、 天才性をも同時に示している訳だ。

 「弱虫ペダル」は、構造的に捻れを抱えているのである。

 

 

 

まぁ、面白いからそんなことはどうでもいいのだけれども。