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ゲームとかの話

ゲームを中心としたヨタ話

【座組の勝利だ】 シン・ゴジラ感想2、短評

 
 

シンゴジラの感想2

庵野さんて、人物描写の人では断じてなくて、状況描写の人なのだな、という。

思えば、トップもナディアもエヴァも、リアリティ満点に描写されたケレン味満載な状況にしびれたのではなかったか、と。
シンゴジラは、そんな庵野さんを人物描写のくびきから解き放って、状況描写に注力させることができた、という意味で、制作陣・座組みの勝利でもあったように思えます。
アニメの「商売上キャラ押ししなければならない」という呪縛、邦画的予算規模の「少数のスター俳優の演技でしか勝負ポイントを作れない」という呪縛。
これら「人物描写の呪縛」から解き放たれた庵野さんが、これからどんな傑作を作っていくのだろうという高揚感を禁じ得ません。
 
 

状況描写・状況萌え 【短評1】

 
キャラ萌えでしか物語を楽しむことが出来ない人には、「シン・ゴジラ」はつらかろう。
エヴァの何が好き?と聞かれて、特定のキャラクターを挙げるような人に向けて、この映画は作られていない。
ヤシマ作戦」だとか「使徒侵入の話」とか「停電しちゃう話」というようなシチュエーションを挙げるような人に向けて作られている。
「状況萌え」とでも言うべきか。
 
シン・ゴジラは「状況萌え」史上最高(少なくとも屈指)の大傑作であり、かつ現代日本(特に東京)に住んでいる人間にとっては最高の入門編でもある。
日本(もしくは東京)に住んでいながら、シン・ゴジラで「状況萌え」が理解できない人は、おそらく一生「状況萌え」を楽しむことは出来まい。
シン・ゴジラで楽しめなかった人を劣っていると見なしているとか、ディスっているとかそういうことではない。たとえばロリコン的キャラ萌えを楽しむことが出来ないという事象が、その人の何らかの優劣とは全く関係がないことと同様、コンテンツの特定の楽しみ方が出来るかどうか、ということである。私はいま、趣味の話をしている。
 
エヴァにおいては、この「状況萌え」の感情移入先は特定のキャラクターであった。商業的要請・業界的掟により、アニメにおいてはキャラを推さねばならないからだ。
しかし、シン・ゴジラ「状況萌え」の感情移入先は「日本」である。そして、誰か一人の人物にこれを象徴させるとするならば、それは観ている自分自身だ。
 
今現在、自分が住んでいる日本(東京)で事態が進行している。「メディア」という信用ならざるフィルターを通して知らされる、現実の災害よりも自分のこととして受け止めることができるかもしれない。必要な情報が必要な視点でダイレクトに目前に突きつけられるのだ。
「今現在、日本(東京)はこんなことになっている」
3.11は、被災者だけではなく、我々自身にとっても事件であった。シン・ゴジラも、これと同様以上に我々自身にとっての事件なのである。
 
これを素直に飲み込めなければ、事件終結時のあの「安堵と多少の疑念が入り混じったため息」は理解できまい。
凍結剤投与100%に達した不明巨大生物の状況は、作戦の成功を感じさせつつも、「本当に?」という疑問が残る。
これがハリウッド映画ならば、もしくは凡庸な邦画ならば、「歓声に沸くオペレーションルーム」として描くだろう。それによって、観る者に成功を伝達するためだ。
しかし、庵野は日本全国の「ため息」を描写することで、観る者に寄り添った。まさしく、あの瞬間、我々も同時にため息をついていた。
かくして、巨大不明生物の襲来は、我々自身に起きた実際の事件として完成したのである。