ゲームとかの話

ゲームを中心としたヨタ話

スマホゲーはなぜどいつもこいつもおんなじようなゲームばかりなのか

今回は、スマホゲー商売の構造についてこれまでの話を含めて整理したうえで、なぜおんなじようなゲームばっかりになってしまい、スマホゲー界隈が、これほどまでに新鮮味のない魅力のない市場になってしまったのかを総括してみたいと思います。 

 
何の意外性もない結論なので長文読まされたあとでガックリ来られても仕方ありませんから、記事タイトルの答えだけ先に書きますと、
「儲かるから」
と要約できます。

本文の趣旨は、なぜ儲けないといけないのかという点ですので、その点、あらかじめご了解くださいませ。

 

 

 

スマホゲーの基本構造  

そこそこ遊べる、時間が潰せるものを無料でばらまいて、大量のお客を集め、そのうち数%の人から平均数千円/月の課金を取って売り上げを立てるスキーム 

 「基本無料ゲー」は、基本的に
  MAU10万人 × 課金率3% × ARPPU(課金者平均課金額)5000円 × プラットフォーム税引70% = 月間売上1000万円
  MAUが100万人なら売り上げも10倍
 ……っていうビジネスです。
 

ゲームプレイ、もしくは運営施策によって月5000円~1万円程度の相当の課金トークンを取得させ、課金の有無によるユーザー間格差を希薄化することで、無課金であってもそれなりに遊べる構造にして、ユーザー数を維持 

 希薄化に関しては、下記の過去記事もご参照ください。 


 
 とにかくユーザー数をかき集めるのが大事。課金者の満足感の優先度は低い。逆にいうと、顧客満足度を射幸性に依存するスキームと言えます。パズドラがそれでも儲かることを証明してしまいました。
 はい、大事なキーワードが出てきました。「顧客満足度を射幸性に依存している」←ココ大事です。
 

収益のためには、とにかくお客を集める必要がある 

 

集客に必要なコストは一人当たり100円~200円程度必要だと言われています。*1

 プラットフォーム税を考えずに単純計算で、課金率を5%出せる場合、集客単価100円で初月ARPPU2000円でトントン集客単価200円だと4000円必要になります。逆にARPPU5000円が見込める場合、集客単価200円だと課金率4%を達成しなければいけません。
 (初月)課金率で5%、もしくはARPPU5000円を叩き出すのは結構難しいので、スマホアプリが集客に使える単価はこのへんが限界値なような気がします。
 運用コストを捻出して、初期開発費用を回収しようとすると、それ以上の利益を取らないといけませんからね。
 

新規ユーザーを集めるコストよりも既存ユーザーを維持するコストの方が圧倒的に安い 

 既に遊んでくれているお客なので、心をへし折らず、続けてもらえれば、翌月の集客コストはゼロです。そりゃ、先行者利益が大きい業界ですよ。もうモンストに勝てない。無理無理。
 パズドラは自滅しましたけれども、モンストはそれをも教訓としてますからね。
 はい、また大事なキーワードが出てきました。「心をへし折ってはならない」←ココ大事です。
 

とにかく人を集めなければ!(強迫観念) 

 

コンシューマ系パッケージタイトルが一本釣りであるならば、スマホゲーは底引き網である 

 課金率も課金単価も上げられないとするならば、収益のためには絶対母数を増やさなければ!という強迫観念じみた思考は働いているでしょう。
 数十万、数百万という単位でユーザーを集める前提の商売スキームである訳ですから、人を集めなければ話になりません。
 実際に、最近の新作では、アプリインストールの報酬としてお金を配っている例さえ散見されます。お金目的の人が、そのゲームを続けてくれるためには、お金を配り続けなければいけないのに、なぜばらまくのか。
 それはランキング操作のためです。「リワード広告」でググってもらえれば、どういうカラクリなのか、概要はつかめると思います。ここでもそのうち取り上げるかもしれません。
 
 釣りで例えると、コンシューマ系パッケージタイトルが一本釣りで、巨大な船で釣り糸を大量に垂らして回収する商売であるのに対して、スマホゲーは底引き網で金にならない雑魚もろとも一網打尽にして、その中に紛れている鯛だけで収益を上げる、みたいな商売であると言えます。
 一本釣りっていうか、強力な電灯であつめたイカを釣っていく感じが近いのかな?(どうでもいい)
 

人を集める効果は実はそれだけではない 

 しかし、実は何が何でも人を集めなければならない、その真の理由は別のところにあります。
 一定以上人を集めると、リアルの知り合い同士の間で共通の話題になってきます。これが真の目的。
 以前の記事でも言及しましたね。


 
 あ、絵だけ書いて、文章で説明してなかったw
 

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ゲームを遊んだって、なんにも意味がない 

 みんな知っているわけですよ。ゲームなんてやったって何の意味もないって。「じゃあ人生の意味って何だ」とか考え始めると、実は決して無意味でもない、とわかってくるんですけど、それは別の話。
 少なくとも、みんなカーチャンに「ゲームなんてやってないで勉強しなさい」って言われて育ってきたわけです。
 じゃあ、なぜゲームをやるのか。まぁ、楽しいからですけどね。それで良いじゃん。
 でも、フラットな状態だと、うっすらと後ろめたさがつきまとってしまう。
 で、その後ろめたさを払拭させる効果があるのが「話題性」です。あまり有意な実態を伴っていないので「バズ」とでも呼びましょうか。
 ゲームの話で盛り上がってると楽しいじゃないですか。で、スマホゲーだと、その場で取り出して、画面を見せ合ったりできるわけです。モンストに至っては一緒に遊べちゃう。そりゃパズドラも無理してパクリたくなる魅力ですわ。
 

人が集まらなければ「バズ」らない。「バズ」らなければ、課金価値を見出せない。 

 とあるコンテンツが盛り上がりを見せるとき、「バズ」は勝手に高まります。宣伝費なんて使わなくても。しかし、時間が経過してくるとそうもいかなくなる。
 特に、キャズムを超えたコンテンツは、アーリーアダプターたちにとっては「オワコン」になってしまいます。
 だからこそ、「このコンテンツは終わってないよ!まだまだ課金しても大丈夫だよ!」というメッセージを発し続ける必要があるのです。
 

広告宣伝費の効果を集客だけで測ってはいけない 

 

ノットオンリー「集客」、バットオルソー「空気をつくる」 

 初期に生まれる、自然発生的な「バズ」ボーナスは、時間が経つにつれてなくなっていきます。さらに一部のユーザーにとっては、「流行」が逆に働くことすらあります(「流行りモノ」をバカにする人たちっているじゃないですか。私もそうですが。)。
 であるからには、「バズ」を維持するためには、何か手を打たなければいけません。たぶん、グリモバにはなく、ガンホーmixiが持っている発想なのではないかな、と。この辺は、両社ともに、創業のコンテンツをオワコン化させてしまったという経験に対する反省があるんじゃないでしょうか。ひょっとすると、ROやmixiのMAUの落ち込み方との差分を見て、これだけMAU減少を食い止めた、みたいな効果測定をしているのかもしれません。
 ユーザー数が伸びなくても、広告宣伝を打ち続けなくてはならないのです。オワコン化させないためには。
 

知らないものに対する恐怖 

 人間、よくわからないもの、得体の知れないものには恐怖を感じます。
 我が子や自分の彼氏がスマホに向かって一心不乱に何か得体の知れないゲームをやっていて、なかなかいうことを聞いてくれません。うーん、腹立たしい!
 実は、広告宣伝は、こういうお母さん、奥さん、カノジョさんにもアピールしなくてはなりません。お子さんが勉強もせずにやっていること、彼氏が課金までしてハマっているものは、こういう楽しい遊びなんです、と。
 実際に理解されなくても、わかった気になってもらえれば良い。人間、わからないものには恐怖感を伴う嫌悪感を抱きますが、わかった気になったようなものにはナゾの親しみを感じます。
 広告とは、お客さんの周囲にいる「敵」を「味方」に変えるツールでもある訳ですね。つまり、お客さん・ユーザーの周囲にいる、自分たちのサービスからお客さん・ユーザーを引きはがそうとする人たちの敵意を解かねばならないのです。そしてあわよくば、親子で・カップルで一緒に遊んでみてはいかが?ってところにまで持っていきたいわけです。
 

ゲーム性を高め(過ぎ)てはならない 

 ゲーム性という言葉の定義を固めないと、ホントはこの辺の議論はできないんですが、ここではざっくりと「判断性(考えること)」と「ジレンマ構造を備えているか、どれくらいの強さか」程度に考えてください。 
 もう若干踏み込んだ「ゲーム性」の話は、下記の記事を参照いただければ。
 私は「ゲーム性」っていう言葉キライなんですよ。その内容についてあまり考えずに、「ゲーム性」って言っとけば何でも許される、みたいな使い方をする人間が少なからずいるので。
 その「ゲーム性」は、判断性なのか、マネジメント性なのか、確率コントロール性なのか。時に推理性や探索性みたいな場合もある。操作性という場合もあるし、果てはナラティブ性という文脈だってあり得てしまう。
 現場で「ゲーム性」とかモヤっとした物言いをされると、その内容が何なのか、つい問い詰め(たくなっ)てしまうのがプランナと言う職種のサガなんでしょうか。自分もアーティストとかエンジニアとかを言いくるめるときに「ゲーム性」の一言で逃げてしまうことがあるので、あんまり人のコト言えないんですけどね。
 

「ゲーム性が高い」と、心が折れてしまう人の割合も高くなる 

 それはさておき。難易度の問題もありますが、正しく「クリア」するために求められる要素が多いと、いわゆる「ゲーム性」は高まります。が、踏まえるべき要素が増えるので、どうしても抜けが出てくる。
 抜けが出てくると、それゆえの失敗によって心が折れてしまうわけです。特に、スタミナでプレイ回数を制限している場合はそれが顕著です。
 心が折れてやめてしまうと、それまで走り続けていたほど、休養期間の間に置いてかれてしまった感覚が強くなって復帰しづらくなります。顔見知りに会って気まずいMMOよりはマシかもしれませんが。
 やめてしまわれると、せっかく100円なり200円なりのコストをかけて引っ張ってきたのが無駄になってしまうわけですね。
 

ガチャ当たりを一発引けば、しばらく無双できるようになっていなければならない 

 ガチャで当たりを引き当ててウレシイ!
 これがスマホゲーにおけるほとんど唯一の顧客満足性です。したがって、当たりキャラが一人いるだけで攻略(的なもの)が大きくはかどるようなシステム・バランスになっていなければなりません。じゃないとうれしくないですからね。
 昔のTCGですと、デスコンボを構成するカードが超大当たり、みたいな、変形コンプガチャの形態になっていましたが、対戦というフレームが基本的な満足感(対人戦で「勝つ」ことがそもそも超うれしい)を構成していたので、ココの満足感は副次的な位置づけで良かったんですけれども。
 

攻略サイトとは切っても切れない仲 

 スマホゲーは攻略サイトと切っても切れない仲です。ズブズブ。
 これは以上見てきた2点が大きく関係しています。つまり、スタミナを無駄にしたくないので攻略サイトを見る。攻略サイトで失敗しない戦い方を見てから挑戦することで、心が折れにくくなる訳です。
 また、ガチャ当たりを、当たりとして認識するためには、それがどこかで明示されていなければなりません。私なんて、初10連で龍馬引いたとき、絵の崩れっぷりからして、露ほどもアタリだと認識してませんでしたよ、ええ。ガチャで引いたこいつは当たりなんかいな?→大当たりです。→やったー!
 ……これも攻略サイトの役割です。


 

 

スマホゲーが(ゲーマーにとって)つまらないのは、(ゲーマーにとって)面白いと収益の足を引っ張るから 

 

スマホゲーは大衆受けするものでなければならない 

 「お金を払う人をごく一部に限定しても儲かる」という、パズドラが「無料石のバラマキ」で起こしたイノベーションは、それまでのガラケ型ソシャゲに革命を起こしました。
 それ以前のソシャゲには、「課金しなければ絶対に越えられない壁」が存在しました。それによって、課金文化が根付いた面も否めませんが、アイテム課金の割高性に気付いている無課金ユーザーを振り落し続けてきたのです。
 無料石のバラマキは、無課金ユーザーを振り落さない仕様・施策(=ゲームデザイン)になりました。無課金ユーザーを振り落さない代わりに課金率が下がったのか、変わらなかったのかについて、データを知る立場にはありませんが、ガラケ型ソシャゲを手掛けていたメーカーも課金トークンをばらまく方向に舵を切っていることが、少なくとも無課金ユーザーの継続性を高めることによって、母数にあたる膨大なMAUを確保することが、それを補って余りある効果を産むということの傍証であると言えます。
 

基本無料・アイテム課金というスキームは、コンテンツ商売に対する消費者の必然的懐疑心に対する一つの答え 

 「情報の非対称性」という本来、全ての商売に、本質的に共通することなんですが、コンテンツ商売が決定的に違う点は、情報そのものが商材であり、情報に触れてしまえば、それを「返却」することができない、ということです。であるが故に、売る側とすれば先払いにせざるを得ない。「つまらん!金返せ!」と言われて、金を返す訳にはいかんわけですよ。だからこそ、中古品に対してもあれだけ抵抗したわけで。
 逆に、買う側からすれば、クソゲーかもしれないものに7000円とかする金額を払わなければならない、極めて賭博性の強い商材でした。そのゲーム、本当にボクが楽しめるの?という、必然的な懐疑心から逃れられなかった訳です。
 基本無料・アイテム課金というスキームは、この必然的な懐疑心に対して、明確な答えを出したと言えます。
 

商売のあり方が、ゲームデザインを拘束する 

 商売のあり方がゲーム性を規定するとは誰の言葉だったでしょうか。島国サンあたりだったような気がしますが。
 スマホゲーに関してもこれはマルっと当てはまる訳で。
 既に7000円払ってしまったゲームであるならば、「値段ぶん遊びたい」「元を取りたい」「払った値段で提供されたものは残さず食べ尽くしたい」という心理が働き、いくら再チャレンジしようとも金銭的負担がないわけですから、勝つために試行錯誤を繰り返せるわけです。
 一方でスマホゲーは、タダで遊んでいるゲームであるからには、いつ途中で投げ出してしまっても損はないわけです。冷静に考えれば。なので、スマホゲーは、冷静に考えるきっかけをなるべく排除する必要があるんですね。
 その答えが深く考えなくても、試行錯誤しなくてもクリアできるゲーム、というわけです。可能であれば、「やっとのところでギリギリ勝った」という達成感だけは感じてもらって。
 結果たどり着いた最適解として、攻略サイトを一瞥するだけで把握できる程度のゲーム要素と、ガチャ当たりユニットがいればゴリ押しで突破できる程度の難易度に行きつくことになった。
 ネットゲーでもあるので、サーバログの収集を通じて、恐ろしい早さでこの最適化が進んだ結果が、同じようなゲームの氾濫、という現状を産み出しました。もうほんと、おんなじようなゲームばっかり。
 私自身、この手のデザインのゲームは好きなので、なんだかんだいろいろ手を出して、ずっと遊んでるわけですが、いい加減飽きてきましたよ。もう。
 

そしてゲーマーはPCゲーへと回帰する (たぶんしない) 

とはいえ、コンシューマももう無理 

 ならば、ゲーマーはコンシューマゲーに回帰するのか、と言われると、それはそれで違うでしょう。
 全世界で売れないと商売になりませんから。特に据え置き。
 アンチャやって思ったのは、もうこれ、ゲームじゃねえな、と。ちょっとしたインタラクティビティのある映画じゃねえか、と。
 これはこういうコンテンツとしてアリだと思いますが、ゲーマー向けゲームじゃない。コレジャナイ。
 

探してみたらSteamしかない 

 で、探してみると、新しいデザインのゲームは国内からは出てきていないことに気付くわけです。悲しい。
 Steamの海外(主にヨーロッパ)産ゲームに行きつくしかないワケですよ。ホント悲しい。
 で、日本語サポートがクソ寂しかったりする。マイナー言語民の悲哀。マジ悲しい。
 
 というわけで、「Stellaris」を買ってみました。

*1:情報がちょっと古く、今はもっと必要なのかもしれませんが……。