ゲームとかの話

ゲームを中心としたヨタ話

転売問題の基礎構造

コンテンツ系箱モノイベントでたびたび話題になる転売問題について。

 
以前、その構造について考察したことがありますが、基本的に同じことを書き方をちょっと変えて整理してみます。
 

 

▼ 代替品がない
 
コンテンツはその独自性のある「情報」そのものが商品なので、買えなかったからと言って他の物で代用するということが難しい性質を持っています。
ラブライブの声優さんライブのチケットが手に入らなかったからと言って、アイマスのイベントで良いや、とはなかなかならないものでして。
ラーメン屋がいっぱいで入れないから、隣のうどん屋でうどんを食べよう、と言うのと訳が違うわけですね。
 
 
▼ (ある程度)広い認知が必要
 
コンテンツの価値は(あらゆる意味を包含して)「面白い」ことにあります。
しかし、ほとんどの人はコンテンツの「面白さ」を評価することができません。「自分がそのコンテンツを好きかどうか」すら、独りで判断することができない場合が多いのです。
 
では、何を基準にコンテンツの良し悪しを判断するのか。「お金を払う」に値するだけの価値が果たしてあるのかどうかをどうやって決めるのか。
それは、「話題になるかどうか」です。面白いかどうかがわからない、ともすれば自分がす気かどうかさえ疑わしいコンテンツにお金を払う価値を認めるためには、そのコンテンツが「話のタネ」になる必要があります。誰かと共通の話題で盛り上がれるかどうか。これがコンテンツにお金を出すかどうかの決定的なハードルになるわけです。
 
したがって、コンテンツビジネスにおいては、「多くの人に知ってもらう」と言うことが何よりも重要であると言えます。極言すれば、お金を払ってくれなくても良いのでなるべく多くの人がそのコンテンツを話のネタにして欲しい。それで、お金を払ってくれる人の話し相手になってくれれば、それだけで充分、価値のあることなのです。
 
 
▼ 支払額(定価)の高さは参入障壁になりうる
 
支払単価の高さは、そのコンテンツに「入る」際の障壁になりえます。
 
古い例ですが、TRPGがちょっとだけ流行ったことがあります。これは、各種ルールブック・リプレイ集が単価の安い文庫本として刊行されたことが大きく影響していたのではないでしょうか。21世紀になってからコアな人気に支えられて刊行されたTRPGルールブックは、単価の高い大判本となりました。見込み販売数に限界がある中で、総売り上げを確保するためにはそうするしかなかったのでしょうが、そういう判断をせざるを得ない状況になってしまったTRPGは、この時点で将来性がなくなってしまったと言えるでしょう。
 
そのコンテンツに入るために必要な金額が高額になればなるほど、「そこまで払わないと楽しめないものなのか」と敬遠する人が出てきます。
 
公式オークションに踏み切れない理由はここにあります。
オークションにした瞬間、多額の実弾が参加条件になってしまいます。これがどれだけ多くの潜在顧客を振り落すか。
注意せねばならないのは、先に述べたコンテンツ産業の、既存顧客の維持のためにも常に潜在顧客を必要とするという構造です。潜在顧客が既存顧客の話し相手になり、既存顧客の購入モチベーションを維持・補強するのです。潜在顧客を振り落してしまっては、既存顧客も維持できません。潜在顧客がいなければ既存顧客も「飽きる」のです。
潜在顧客を喪失してしまったコンテンツの事を世間では「オワコン」と呼びます。
 
 
▼ 課金ガチャゲーと構造は同じ
 
コンテンツはいま、無料化の流れがどんどん加速しています。音楽も、映画もテレビ番組も、そしてゲームまでも、最初の消費を無料にしています。
コンテンツビジネス系の話として、「先々お金を払ってくれる人を確保するために、まず知ってもらうのを無料にする」という議論は時折見かけます。
しかし、「お金を払ってくれる人のロイヤリティ維持のためにも、会話についていける人を無料で確保する」という文脈で語られる議論を、私は寡聞にして知りません。
 
これは先日の課金ガチャゲーのビジネスモデルの話と同じ話です。
 
 
 
無料ゲーの課金ガチャがゲームビジネスを変えてしまったように、音楽が無料で聴けるようになったことは、音楽のビジネスを変えました。
ライブイベントのチケットの抽選が、課金ガチャに相当するわけですね。
 
 
▼ まとめ
 
課金者の課金モチベーション維持のためにも、話し相手になれる無料ユーザーのつなぎ留めは超大事
(→なので、主催者オークションにはなかなか踏み切れない)