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ゲームとかの話

ゲームを中心としたヨタ話

「連載型ゲーム」という視点



今日は、少なくともこの国においてはスマホアプリが全盛の時代である。それも、筆者が頻繁に用いる用語を借りれば「パズドラクローン」が全盛の時代である。
パズドラクローンの形をした新規タイトル濫発がひと段落ついてきた感のあるこのタイミングで、「連載型ゲーム」という定義を仮定し、そこを視座としたゲームデザイン研究を一計案じてみたいと思う。

パズドラクローンという定義と重複する部分も多いが、「連載型ゲーム」はより広大な領域をカバーする概念である。
パッケージングされた「終わりのあるゲーム」ではないゲームの殆どが当てはまるのではないかと思えるほどだ。

・サービス開始以降、プレイヤーが継続したアカウントによって自己同一性を保持する
・アップデートと称して、コンテンツが継続的に拡張される
 ※かつてはパッケージに匹敵するような分量が期間的ブランクを経てリリースされていたが、いまや週単位のアップデート・コンテンツ追加が当たり前になってきている

このようなスタイルのゲームは、ほぼ必然的にネットワーク環境を要するものであるので、基本的には「ネトゲ」である。
したがって、

・プレイヤーがネットワーク化され、互いに干渉する

という性質を持つ場合がほとんどであるので、「連載型ゲーム」とは「ネトゲ」という概念の部分集合であるという前提で進めたい。
(かつて、「ゲームウェア」や「ディスクステーション」というような、物理的物流に乗せた「連載型ゲーム」の試みがあったが、本論ではこれを考慮しない。)


連載型ゲームは、それそのものが、運営神の「光あれ」という一言でサービスインするひとつの世界であり、社会である。
アカウントを作成し、ゲームを始めるということは、その世界に生を享け、人生を開始することに等しい。

連載型ゲームは、継続したアカウントによる自己同一性を持つが、これは資産と成果の蓄積を目的としている。
※これを目的としないアカウント目的も存在しうる(本人確認や年齢認証など)が、議論がややこしくなるので、「セーブデータ保持」的な側面のみを見ることにする。


プレイヤーは、アカウントを作成した瞬間に、ゲーム世界に生を享ける。そして、そこから、ゲーム世界での人生の履歴が蓄積され続ける。
ゲームプレイは蓄積の連続だ。
雑魚モンスターを狩って小銭を稼ぎ、レベルを上げ、装備を整えキャラ性能を上げる。
無料ガチャを回して資産を作り、その資産を基に、さらに資産を増やす。(無料ガチャに敗北し、生後まもなく死んでいく赤ん坊もまた多い。)
娘を建造し、また発掘し、愛で、育て、またさらに発掘する。そしてカンストし、ケッコンし、またカンストする。

プレイすればするほど、資産は蓄積される。その蓄積された資産こそが手段でもあり目的である。
プレイすればするほど成果が上がる。成果を挙げることは目標であり、成果を挙げたことは達成感である。


ゲームタイトルにおいて、天地創造から経過した時間と獲得したアクティブユーザーは社会を形成する。
そして社会は常に変化し続ける。それはゲームのあり方が常に変わり続けるということだ。
先発組と後発組が存在し、彼らは同居しながらも同じゲームを遊んでいない。
先発組と後発組のゲームの違いは、サービス継続の長さに比例して大きくなる。
1年前にモンストを始めた私と、先月モンストを始めた友人は、同じゲームを遊んではいない。

とあるアップデートで新しいコンテンツが追加されたとする。しかし、これはすべてのプレイヤーにとって、異なる文脈をもって立ち現れる。
プレイ時間3時間のプレイヤーと100時間のプレイヤーに、同じコンテンツ追加を施そうとすれば、原理的には前者はあと97時間プレイしなければアンロックされない、という仕様にしなければならないだろうし、そもそもプレイヤー間の相互干渉がある時点でそれでも同じコンテンツ追加とはなりえない。


したがって、運営は、さまざまな年齢(実年齢ではなくプレイ暦)のプレイヤーがいることを前提に、新規アップデートを行う。

 

これは紛れもなくゲームデザインである。
そして、スマホアプリ界隈で、

「初期開発の終了はリリースではなく、サービスインである」

「終わりではない。始まりだ。」

と言われ続ける所以でもある。

 

KPIを見ながら、数字で運営するというやり方は、ゲーム内社会の在り方を見ながらデザインするということに他ならない。

収益の在り方として数字を見るのではなく、ゲーム内社会の在り方として数字を見るデザイナーが存在するか否かに、サービスの成功がかかっていると感じるし、現にそういうサービスしか生き残っていないように思えるのである。

 


以上、何か新しい主張というわけではないが、運営施策も間違いなくゲームデザインであるということについて、押さえておくべき視座をまとめてみたわけである。



さて、少々視点を変えて、プレイヤーの視点に立ってみよう。

新しいゲームを始めるとする。その選択の背後には、選択肢となる各タイトルの「歴史」が存在する。
長い歴史を持つゲームであれば、その時間の分だけ資産や成果を蓄積したプレイヤーたちが存在するということである。

「新しくゲームを始める」ことを想定した場合、なにを求めてそのゲームを始めるのだろうか。

「他者に比べて優位にある」という達成感を求める場合、あなたはサービス日数を経たゲームに手をつけるべきではない。
その世界には絶対に超えられない先行者が必ず存在するのだ。不老不死の金持ちがわんさといる世界に生まれるようなもので、そんな世界では世界一の大富豪など、絶対になれまい。

リアルでの世界での知り合いが遊んでいる場合、あなたは彼の庇護を受けられるかもしれない。裕福な家庭に生まれた子供であるようなもので、同時期に始めた「同級生」たちに比べてきわめて有利である。

ユーザー数が集まらず、サービスの存続が危ぶまれる場合、あなたは世界の滅亡を体感できるかもしれない。
やけくそになった運営がハイパーインフレに舵を切ったならば、先発組をゴボウ抜きにして世界の覇者になれる可能性すらある。


 

……というわけで、以上とりとめのない話になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました(流行ってるみたいなので)。

 

ちなみに艦これ秋イベは、最後息切れして、最終的に甲甲甲乙丙で掘らずの終了と相成りました。

モンストのエヴァコラボと重なっちゃったんだもん、しょうがないよね。

ラー×使徒を運極にできたからいいよね。