ゲームとかの話

ゲームを中心としたヨタ話

リアルタイムレンダリングムービーをどう呼ぶのか問題

 

前回、「カットシーン」を引き合いに出してあーだこーだ言ったわけですが。

そもそも、「カットシーン」ってどれくらい一般的な言葉なんだろうと思った今日この頃。

というわけでリアルタイムレンダリングムービーシーンについて、何て言えばいいのか、ちょっと考えてみたわけです。

 

 

wikipediaでは、「リアルタイムレンダリングムービー」が、採られているようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC

また、プリレンダも含むムービーの呼称として下記を挙げています。

FullMotionVideo(FMV)
Cutscene(カットシーン)
Cinematics(シネマティクス)

また、「リアルタイムレンダリングムービー」の呼称として「インタラクティブムービー」の語も紹介されています。


ですが、「リアルタイムレンダリングムービー」って長くて使いづらい。現場ではつかえたもんじゃないわけです。
略称もしっくり来ませんね。なので使いやすい言葉を捜したい今日この頃。
プリレンダリングムービーのほうは「プリレン」がある程度定着している感があるので、「リアレン?」
うーん、しっくり来ません。

 


ネットを探してみると、「ポリゴンデモ」略してポリデモ という言葉がちらほら見受けられます。
MetalGearSolid関連での言及とセットのことが多いので、コナミ(コジプロ)では「ポリゴンデモ(ポリデモ)」と呼ばれているのかもしれませんね。

また、UnrealEngineでは、シネマティクスと呼んでいるようです。しかし、「カットシーン」だったり「シネマティックシーケンス」だったりという語も登場するので、エンジンの機能の名前を意図して使っている可能性もあります。

ごく一部の記事では「ポリ劇」という言葉も出てきます。こちらは出所不明。


用例採集

「リアルタイム」
https://blog.goo.ne.jp/beat-beat/e/bcaff4401700e62f62d4664be98cc956
2006年8月の記事。

「リアルタイムレンダリングムービー」
https://cgworld.jp/feature/201611-cgwcc2016-sega.html
CGWorldの記事。公共性の高い場ですから、「リアルタイムレンダリングムービー」といっています。
「リアルタイムレンダリングムービー」が今のところ正式名称なようですね。

「ポリゴンデモ(ポリデモ)」

https://www.konami.com/mg/archive/mgs_tts/japanese/intro_index.html


「ポリ劇」

ポリ劇 ゲーム業界用語大便利帳 プリレンダとリアルタイムの違いはこんなにあるのだ | 姫子さんのゲーム天守閣!

こちらは、「ポリゴン劇」とは言わないんですね。

 

 

カットシーン」

Choke Point | 【コラム】カットシーンがゲームに与える悪影響とは?

前回も引用したこちらの記事。主に海外で使われているようです。
ただ、この場合、プリレンダを含むムービーシーケンスの事全般を指して使っている可能性もありそうです。
ちなみに筆者の現場では、リアルタイムレンダリングムービーを指して、この「カットシーン」という言葉を使っています。

 


皆さんの現場では、「リアルタイムレンダリングムービー」の事を何と呼んでいますか?

バストアップ紙芝居はもうたくさんだ

 

ゲームとかの話 とか言いながら、最近アニメとか映画の話しか書いてなかったんでゲームの話を。

 


カットシー
http://www.choke-point.com/?p=10659

上記リンクの筆者はカットシーン大嫌いな模様ですが、本稿とは関係がないです。

リアルタイムムービー、とかポリゴンデモ、とか言ったりします。正式名称が定まる前に、いろんな会社でローカルネームが乱立して、正式には何と言えばいいのかよく判らないんですよね。。。

 

 

さて、カットシーンである。

定義としては、
・ゲーム用モデルを使用
・ゲームプレイシーンからは切り離された、映像を眺めるシーン
・リアルタイムにレンダリングされる(ゲームプレイシーンと同じ描画方式である)
といった感じ。


リアルタイムレンダリングであることの利点は枚挙に暇がありません。
(ゲームプレイ上の利点)
・プレイヤーがキャラクターに施したカスタマイズを反映させられる
・ちゃんと制御系を実装すれば、ある程度のインタラクションを持たせられる
(制作上の利点)
・モーションデザイナーのみで作成可能
・モーションデータのみで容量が軽い
・各種モデル(特に背景)は流用が可能。流用って言い方が悪いですが、制作したデータの有効活用ですから!
・つまりコストが安くて、大量に作れて、組み込める

欠点もあるが、最近はリアルタイム描画のクオリティが上がってきているので、結構目を瞑られていると思います。
プリレンはプリレンで、結構デメリットが大きいので、基本的に最近の据え置きゲーのムービーシーンはほぼ全てカットシーンで作られていると思っていいでしょう。
伝統的にオープニングとエンディングはプリレンで作る、というスタジオもありますけれども、ムービーシーンを全てプリレンで制作するとかは、正直ありえないレベル。


さて。
本稿で何が言いたいかと言いますと、据え置き系のハイエンドゲームにおけるカットシーン論ではなく、モバイル向けの「軽い」ゲームにおけるストーリー語り演出についてであります。

近年はスマホゲーでも開発予算をかけて、3Dキャラをガリガリ動かすタイトルが増えてきました。
端末の能力も強くなってきてますからね。
でも、ご多分に漏れず、シナリオ進行は、2Dを背景に、「立ち絵orバストアップキャラがパクパク喋っているだけの紙芝居」で進めてしまう。

いくらなんでも、いい加減そんな20世紀の遺物とはおさらばしようぜ!
せっかくアニメチックなかわいい3Dモデルを作っているんだから、背景を3Dにして、カメラワーク効かせて、少しリッチなお芝居を見せてくれよ。

画面の下の方にテキスト表示ウィンドウが出てきた瞬間に、全力でスキップボタンを押す癖がついてしまいましたよ、こっちは。
読むだけで脱力してしまうような糞テキストなんか、延々と読んでいるほど暇じゃねえんだ、こちとら。

だけど、キャラクターたちがしっかりお芝居してくれるなら話は別だ。せっかくいい声優さんを使っているんだ。
声優さんのお芝居に負けない、動きの芝居も見せて欲しいのですよ。


さて。
最近のスマホゲーのあり方として、キャラに思い入れを抱いてもらって、その思い入れパワーを原動力に、ガチャ課金に100万突っ込む……という感じじゃないですか。

だったら、ストーリー語り、設定語りのパートはもっと気合入れましょうよ。

プリレンとか、フルスクラッチ2Dアニメ(たぶん)なんかより、安く作れるんだからさあ。


最近 Witcher3 をやったんですが、あんな感じのカットシーンで語りを入れてくるのであれば、問題なくストーリーを追う気になれるなぁ、と思った次第。

 

 

ピッチパーフェクトは共和党映画。民主党ってやっぱりしゃらくせえ。

ピッチパーフェクト、いいですね。以下、PP。

 

アマプラで2作目まで観て、サントラ買っちまって毎日聴いてますよ。

 

というのが2年前の話。

 

3の公開はいつなんじゃい、と待っていたんですけど。

今年アメリカで公開されていたんですが、なかなか日本に来ないんでブルーレイを輸入したりして、全裸待機していたわけです。

そしたら、ちょっと目を離しているすきに、日本公開が終わっていたショック。

先週までじゃんかよ、チクショウ。

 

 

で、海外版ブルーレイは日本語サポートしてなかったので、3の筋はさっぱりわからん状態なわけですが、アマプラに1作目が復活していたので久々に見返していて思ったのが。

 

この作品、共和党なんすよ。

大体のハリウッド映画が民主党なんですね、価値観が。

 でも、PPは共和党。マジ共和党

共和党って、ほら、頭悪いじゃないですか。

 

でも、私はこっちのほうが共感できるんですよね。

しゃらくせえおためごかしなんざくそくらえ ってな具合で。

 

映画公開終わっちゃったんで、3作目の日本語ローカライズ版のアマゾンビデオ待ちですけれど、とりあえず、2作目までの素朴な感想ってことで。

 

 

 

「オタク」属性主人公論 【弱虫ペダルとシンカリオンの感想】

■ ○○オタであるというキャラ属性

キャラクターが出てくるコンテンツ(=アニメとか)において、作劇上、魅力あるキャラクターにするためには、 何らかの弱点を持たせるべき という鉄則があります。

凄腕の暗殺者だけれども、猫を見るとかわいがってしまう、 というような。


その弱点が原因で窮地に陥る、 というストーリー上の要請からだけではなく、読者・視聴者にとって、そのキャラクターが自分と同じ側の人間であると感じるために、 価値観を部分的にせよ共有させることが主な目的です。

 

往々にして、物語の登場人物は、読者・ 視聴者とは異なる考え方で行動します。

地球の敵と戦ったり、 スポーツで頂点を目指して鍛錬したりする訳ですから、一般の読者・ 視聴者とは決定的なところで価値観がズレてしまうのは致し方ありません。

我々凡百の一般人としては共感しづらいキャラクターになってしま いがちです。

したがって、読者・ 視聴者の感情移入の依りしろになるべきキャラクターの演出を行な うにあたっては、読者・視聴者に「こういうところは私と似ている/納得できる」 と共感してもらい、感情移入してもらう必要があります。

 


ここまでが前提。

 


近年、この手のキャラクター設定に「重度の○○オタクである」 という属性を持たされた主人公が増えてきているように感じます(今期シンカリオンを観てて、 弱ペダを一気に観たちょうどこのタイミングが変異点である可能性 は否定しきれないですが)。

 

さて、この「重度の○○オタクである」という属性。
いくつか検討しておきたい問題を秘めてはいないか、ということで、軽く考察を試みてみたいなと。

 

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本稿では、「シンカリオン」と「弱虫ペダル」の事例を引いて、主人公の特徴的な属性として「(重度の)○○オタクである」 ことについて論じてみたい。

■ オタであるということは、「性格」ではなく「ライフスタイル」 である

ここで、ひとつ着目しておくべきは、「○○オタである」 という属性は、身体的特徴でも、 思考の独自性という意味での性格でもない。
○○という趣味に重度に傾倒している、 というライフスタイルがキャラクター属性になっているのだ。

これは何を意味するか。 何らかのオタクを自認する諸兄には自明のことと思われるが、
これは、取りも直さず、「 人生におけるリソースの少なからぬものを趣味に投じている」 ということである。
そして、この場合の投資物とは、ほとんどの場合「時間」である

オタレベルが高ければ高いほど、裏でそのレベルに見合った「 時間」を消費している、 という設定面の裏側にまで想起せずにはいられないのだ。

-「小学生」設定のヌルさとシンカリオン

さて、「シンカリオン」において、主人公・速杉ハヤトは「重度の鉄道(・新幹線)オタク」の少年として描かれる。

日常生活において彼が新幹線知識を涵養している時間は、 戦闘訓練等に代替可能なものである。
つまり、「シンカリオンに乗って戦う」 という彼の主なミッションに対して、一生懸命ではないのだ。
少なくとも、速杉ハヤトは彼の総てを賭けて戦っている訳ではない。
シンカリオン」という作品において、パイロットたる「適合者」 たちの日常は普通の小学生のそれとさほど変わらない。
超進化研究所の大人たちの、 古典的でブラックな労働環境との対比においては、明確に「ホワイト」な待遇である。
待遇がホワイトなればこそ、「重度の新幹線オタとしての速杉ハヤト」が成立するのである。

加えて、彼らは、新幹線が変形するロボットを操縦して、敵と戦うことを任務としている。
これは、相当程度に主任務と趣味としてのオタク分野が一致していると捉えることができる。
冷静に考えれば、新幹線知識がロボットによる戦闘においてどれだけ寄与するかは甚だ疑問であるが、演出・作劇の宜しきを得て、 シンカリオンではそれがさほど表出されない。 新幹線オタとしてのレベルを高めることが、「 シンカリオンに乗って敵と戦う」 ことの訓練として寄与しているかのような錯覚さえ覚えさせるのである。


シンカリオン」における、新幹線オタであるということと、 何らかの使命を背負う者であることのかみ合わなさは、 この二点において巧みに糊塗されていると言える。

 

-部活モノとしての弱虫ペダル

視点を転じて「弱ペダ」である。主人公・小野田坂道くんは重度のアニオタである。
彼の場合、佐倉あたりからロクに進まないママチャリで秋葉まで毎週往復していた、というアニオタならではの基礎鍛錬が、ロードレースというフィールドにおいて開花したという立て付けに なっている。
彼は、晴れて自転車競技部に入部し、メキメキと頭角を現し、インハイ優勝まで成し遂げてしまうわけだ。
しかし、彼は「アニメ好き」はともかく、アニオタとしてのレベルの維持・涵養にも余念がないのだ。
それまでと同様に、小野田坂道はアニメに金と時間を費やしているのである。自転車競技という金のかかる競技に自らの本道を見出しているにも かかわらず、だ。

これは、従来型スポコン物からの大いなる逸脱である。
局地的には猛練習の様子が描かれてはいるが、 本質的に小野田の練習量は大したことがないのである。

劇中においても、注意深く観てみると、小野田の「強さ」の源泉として、「努力」や「練習量」が挙げられることは無い。
彼の強さは、ママチャリで鍛えたケイデンスという身体的な素質を除けば、専ら「オーダーに応える」や「一歩一歩進む意志の強さ」という、精神的な強さ(もしくは性向)として語られる。
箱学メンバーや手嶋の強さにおいて「努力」「練習量」というキーワードが頻発するのとは対照的だ。

小野田坂道は、そのキャラクター像から「天才型」「エリート」といったイメージを抱きにくいキャラクターである。
しかし、「努力」「練習量」をその強さの源泉とする強敵たちを、 ロード初心者が「素質」「意志力」といった「日々の積み重ね」 とは直接的には関連しない要素で打ち負かしていくのだ。
小野田のライバル・真波山岳こそが天才型に見える。しかし、彼もまた努力型である。授業をサボってまで自転車で山を登っているのだ。時間の割き方が尋常ではない。

弱虫ペダル」とは、言わば「才能」で「努力」を蹂躙していく物語とも言える。

持てる小野田が持たざる努力家たちを蹂躙していく。そんな構図の物語を、「重度のアニオタであるロード初心者」 という設定が、あたかもその逆であるかのように見せている。
弱虫ペダル」では、ふんだんに回想シーンを用い、 ライバルたちの「過去」を語る。彼らが何故、自転車に乗るのか。何故ロードで勝たなければならないのか。
一方で、坂道の過去は全く語られない。当然である。アニオタとして生きてきた訳であるから、自転車やロードレースに対する思い入れがないのである。

奇しくも手嶋が語るように、才能のない者は努力するしかない。 経験とは、凡才が唯一積み上げられるものである。

 


「ロードレースに青春を賭けた若者たちが、天才・小野田坂道に、いかに敗れていったか」


これが弱虫ペダルの主題である。小野田坂道という天才を軸とした青春群像劇なのだ。

天才・小野田坂道を主人公に据えて作劇する訳だから、一片たりとも坂道を「悪者」にしてはならない。
彼のパーソナリティはイラつかないギリギリの線で卑屈(謙虚というには坂道のそれは卑屈すぎる)であり、 しかし素直であり、そして明るい。

重度のアニオタであるという設定は、彼を「良いヤツ」 と大いに示す属性でもある。
しかし、冷静に考えると小野田坂道という天才の、 天才性をも同時に示している訳だ。

 「弱虫ペダル」は、構造的に捻れを抱えているのである。

 

 

 

まぁ、面白いからそんなことはどうでもいいのだけれども。

 

 

【短評】恋のヒメヒメぺったんこ 「弱虫ペダル」4期まで感想

桃井はるこの真骨頂。

アラフォードンピシャ

90年代アニソンのツボを押さえている。

ピコピコ8ビット音源&ベタいメロディーライン。

そして脳みそが解けそうな頭の悪い(褒めてます)萌えツボを押さえるためだけのワードを無意味に並べるリリック。

 

弱虫ペダル、原作を読んでないですが、腐のお姉さま方に媚びに媚びまくったアニメですが、アラフォーおっさんでも充分観られる、王道スポーツ少年漫画でありながら、ここまで商業的なフックを散りばめられるこのセンス、制作陣に脱帽です。

 

おいそこ、ヒキの絵がことごとく崩壊してるとか言わない!

 

 

 

FREEZE 第3回まで感想(ややネタバレあり)

ドキュメンタルより個人的には好き。

アマゾンのレビューに投げたけど、どう考えても個人的な感想なので削除してこっちに垂れ流します。

3話まで。ネタバレあり。

 

 

ドキュメンタルでは終始一貫「お笑い村」ないし「芸人村」的な狭い世界の人たちが内輪ウケを狙ってなんかやってる感がうっすらと漂っており、それは観ている私にある種の気持ち悪さを感じさせていた部分がありました。
今作に関しては、それがない。
観る者の共感を呼び、感情移入の依り代となったのは、間違いなくボビーと鈴木奈々であり、彼らを残すことが、結果として本作のベースコンセプトの表現に寄与していたと思います。
芸人を早々と退場させたほうが面白かった。
これは、芸人さんが普段からいろんなリアクションをしている人たちでもあるので見慣れてしまっていたというところもあるのかもしれません。
芸人さんやお笑いファンたちにとっては複雑なのかもしれませんが、芸人4人の早期退場は慧眼だったと思います。
4人のリアクションより、ボビー奈々のリアクションのほうを見たいわけですから。

判定に対する不満で低評価が集まっているようですが、これは編集・制作サイドの問題もあるように思います。
ドキュメンタルもそうでしたが、オープニングとかエンディングが、斜に構えたちょっとカッコいい映像になっていて、おふざけお笑い番組なんだよ、という前提を冒頭でミスリードしてしまっているように思えるからです。
ガキ使が多少オサレな映像を使っていても、視聴者はガキがどういう番組であるか全員知っているわけですから、それで問題はないでしょう。
しかし、初見のものに対してパッケージと内容にイメージの齟齬がある場合、見る側とすれば「裏切られた」と感じるでしょう。
「動かなければ賞金100万」は「競技ルール」ではなく「設定・バックグラウンド」なのである、とより強く明示しておくべきだったのではないでしょうか。

 

 

追記

で。アマゾンでなぜ低評価がついてしまったのかをもう少し深く突っ込んで考えてみると。

単なる舞台装置に過ぎない、出演者への賞金に「現金」を選んでいる点。

これは分かりやすい一方で、ある種の視聴者に「俺だってほしい100万の行方を決める裁定は、ルールに則り、厳格に決められねばならない」という謎の正義感まで抱かせてしまっている可能性があります。

正直、裁定の公正さなんて、お笑い番組にどれだけ求められるんでしょう。

 

まぁ、まだオチがついていないので、最後まで観てから総括しないと、でしょうけれど。

 

関係ないですが、観てれば判るように、あの包丁は本物ではないです。刃がついてない。あとは単純にドローンの操縦をミスりましたね、あれは。

クロちゃんの頭についた傷はドローンの羽根によるもので、まぁかすり傷でしょう。ドローンの羽根(特にあのサイズ)はやらかい素材でできているので、個人的には全く心配してません。ついでに包丁はクロちゃんと岩尾以外には行く予定はなかったと思います。

 

 

「勝負モノ」という設定

コンテンツとしての勝負モノは、「当人たちが本気で勝ちに行っている」状況における人物たちのあれこれを語る、というフォーマットであり、当人たちがその裁定に不満がないならば問題がないわけです。勝敗それ自体は、物語に大きな区切りをつける重要な項目ですが、良いコンテンツであるために「勝ち」は必ずしも必要とはされない。

けど、読者はたいてい主人公に感情移入するので、主人公に勝たせて一緒に達成感を味合わせるわけです。

 

 

 

「貴社の記者が汽車で帰社する」撲滅運動

同音異義語の例文で、よく出てくるアレ。

「貴社の記者が汽車で帰社する」

 

これ悪文だと思うんですよ。

 

敬語レベルが揺れてる。

 貴社の記者様が汽車で帰社なさる

でしょうよ。相手方の会社にのみ敬意を払っているのでこの揺れ方をされるとちょっとイラっとする。

 

でも、何が言いたいかというと、害が大きいと思ったのは、この文でしか「貴社」なんて覚える場がないということ。

普通「御社」使うでしょ。

「貴社」っていう言い方、この例文がまさに示している通り、同音異義語が多くて紛らわしい言葉なので原則使わないほうがベターな言葉だと思うんです。誤変換と聞き間違いの巣窟。すくつ。

この例文で「貴社」って単語を覚えてしまった一定数のへそ曲がりが、オリジナリティ出そうと思ったりして使ったりしやがる。

そんなオリジナリティ誰も求めてねえ。

 

というわけで、「貴社の記者が汽車で帰社する」は撲滅させたい。

使うときは(かつては「御社」のことをこう表現もしていた時代があったんです)的な注意をつけといてほしい。