ゲームとかの話

ゲームを中心としたヨタ話 ……だったんだけど、アニメとかプロレスとかの話が増えてきました。昭和生まれオタク話ブログってことで。

#ダンベル #最終回EDテーマ 【短信】 

 

 

すでにタイトルがタイトルになってませんが。

 

 

その昔、最終回だけEDテーマを変えるっていう文化があったよねえ、という話をしました。

 

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うん、昨日。

 

 

そしたら。今日…

 

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#ダンベル がやってきやがった。

けど、何にも泣けねえw

 

 

筋肉つながりということで、唯一絶対女神元井美貴さまの筋肉を貼っておきますね

 

 

 

 

 

 

 

 

【90年代アニソン】 最終回限定EDテーマという文化

 

……あったんですよ、そういう文化が。

最終回だけ別EDテーマを流して、涙腺を崩壊させるっていう。

 

ということで、パッと思いつく最終回限定エンディングテーマの神曲2選。

 

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この曲はもっと評価されていい。

 

ただ、天地無用!については、絵柄が受け付けられなかったんですよね。当時から。

 

 

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雰囲気アニメの最高峰、カウボーイビバップよりこの一曲。

 

いやまぁ、菅野よう子唯一神がもたらした福音であるから、名曲なのは当たり前なんですけれど、ビバップのいい雰囲気の中、エンディングでこれをやられたて、立たない鳥肌ってあるんでしょうかね?

 

 

で、ほかにもなかったかと思ってググったら、こんなページが出てきた。

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けど、挙げた2曲入ってねえw

BLUEに関しては、ビバップ自体が項目抜けしてるのでわからんでもないが、天地無用!シリーズと、項目が立っているにもかかわらず、恋愛の時空が挙げられてないって、いったいどういうことなんですかw

 

有志の方、更新オナシャス!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しいスマホゲーが出てこない理由

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↑記事、そこそこアクセスいただいているようで。

 

ということで、続編です。

今回も、先に答えだけ書くと、「予算を獲れるビッグネームが生まれない、ビジネススキームの構造上の問題」ということなのかな、と。

 

 

売れるためにはゲームの出来が「メタスコア的なスコアが高い」という意味で、良くなければなりません。

スコアを出すには、細かいところがよくできていないといけません。 細かい部分がストレスフルだと、評価は上がりませんからね。

 

ですが、細かい部分がよくできているためには、たくさんの人間の目が入って、事前に評価されないといけません。また、気持ちのよさというのは時として、フレーム単位ms単位での処理の最適化を行わなければならなかったりする。1秒あれば処理できるだろうと、waitやdelayで処理していた部分を、切り詰めて処理が終わった通知を受けて処理する、みたいなコストのかかる実装にしなければならなかったりするわけで。

 

つまり、予算が必要。
人の目を入れるという部分では、レビューをする段取りだったり、有意なレビューができる初見レビュワーの確保だったり、っていう段取り力やスキームが必要になってきます。気持ちのよさ、レスポンスの良さについては、単純に技術力と蓄積された経験が者を言ってきたりもする。まぁ、いずれにせよ、それ相応にコストはかかります。

 

で、予算を獲得するためには、売れる見通しが立っていなければならなりません。 売れる見通しを立てるには、実績のある企画でなければなりません。

企画段階で、その面白さを理解できる経営陣はいないことはない。ただ、ゲームデザインが新しければ新しいほど、必要とされる規模の予算を、全く新しい企画に投下し得るプロデューサーは、ほぼいないんだろうと思います。見込まれる収益に対して、有意に可能性のある投資であるかが問われてしまう局面で、博打を打つつもりで数億規模の予算を突っ込む責任を負える肝のあるプロデューサーは、そうそういないでしょう。彼らもサラリーマンなわけですから。わがまま言ってもいいでしょう、と許される人は、ヒット作を何本も世に送ってきた監督たちレベルでないと、なかなか難しい。アニメ業界で言えば、宮崎駿庵野秀明といったレベル。細田守はその域に達しつつあり、新海誠は、天気の子のやらかした感がどの程度であったか、次第でしょうか。

国内のゲーム業界にも何人かそういう人たちはいますが、スマホゲームという業態において、そこまでの信頼感を得ている人はいないと思います。

 

スマホゲーがクソなのは、「安定して売れるゲームを作れる」という人材の不在に原因がありそうです。「自分のやりたい新しいこと」にチャレンジさせてもらえる人が、いないのです。

これは業界が成熟してきたということでもありましょう。バブル期のスマホゲー界隈であれば、予算規模の小ささから、無名のプロデューサー・企画者が出す「新しいゲーム」でも、ワンチャン博打を打てる規模でした。ですが、今はもう、そうではなくなっている。

名声が予算を生み、予算が評価を生み、評価が名声を高める…というスパイラルを、スマホゲー界隈は作れていません。そして、スマホゲーは、そういうビッグネームが生まれにくい業態でもあります。

スマホゲーの息は長いです。リリースしてから、月額いくら稼いだか。トータルでどのくらい時間をかけてリクープしたか。元を取れたか。という商売になりました。

スマホゲーという業態において、タイトルの成否が明らかになるまでに、非常に長い時間がかかる時代になったということです。

ゲームが、「買い切りの作品」ではなく、「よくできたサービス」に変質していった時点で、「ゲーム企画の良し悪し」であった、「企画者の過去の実績」を作っていくのに、膨大な時間がかかるようになってしまった。

また、作品ではなくサービスとしての良さ、みたいな価値基準が生まれた以上、根本のゲームデザインではなく、運営のサービスの行き届いている具合、みたいなものがゲームの評価になっているという側面もあります。

 

とりとめもない話になってしまいましたが。
スマホゲーはもはや、新規参入者が博打に勝てるほど簡単な世界ではなくなってしまった
②先行するヒット作を抱えるパブリッシャーにとって、新作に投じる予算よりも、既存のヒット作の運営、延命施策に予算を投じるほうが、投資合理性にかなうようになってしまった
といったあたりが、「新しいスマホゲーが出てこない理由」という問いに対する答えになるのかな、と。
それが、「予算を獲れるビッグネームが生まれない、ビジネススキームの構造上の問題」という言葉に結実するのではないかと。

 

 

 

 

【銀英伝】何故アスターテで同盟軍が外線戦術を使用したか問題② #銀英伝

 

今回は、前回の続きです。

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前回を読んでない方は、まず↑からどうぞ。

 

 

仮説① : 銀英伝宇宙は航行可能領域が極端に狭く、行軍長径の問題が存在していた

 

仮説①では、そもそも「行軍長径」が弊害として無視できない環境が、陸戦同様に銀英伝宇宙にも存在したのではないかという仮説です。

つまり、戦略機動に耐えるだけの航行可能領域が制限される隘路がそこここに散在している、という仮定です。

 

 

作中にはイゼルローン回廊、フェザーン回廊という、同盟と帝国を分かつ二つの狭隘地形が登場します。

アムリッツァに続く同盟の帝国領侵攻作戦において、キルヒアイス提案の回廊出口待ち伏せ策が成立し得たことから、イゼルローン回廊が出撃全艦隊を並進させる空間的余裕を持たないことは示されています。

 

航行可能な艦艇数に制約を課す狭隘な地形は、海上における海峡と同様な戦略価値を有するわけで、ジブラルタルシンガポール戦略的価値は、イゼルローンのそれと相似形をなすと言えます。

 

海峡や地峡は、同時通行可能な兵力の帯域を制約するという意味で、大規模な軍勢に行軍長径の増大を強制するため、守るに易い地形と言えます。急所という意味で、チョークポイントとも呼ばれます。

 

イゼルローンというチョークポイントは、

・帝国と同盟の国境をなしていること

・戦略的に並列的な価値を持つフェザーン回廊との距離がとてつもなく長大であること

を理由として、計り知れない戦略上の価値を持ちます。

 

イゼルローンとフェザーンという、帝国と同盟を隔てる隘路の存在感に目を奪われがちですが、銀英伝宇宙には同様の隘路が点在していると考えられます。

そうすると、同盟艦隊の策源地(ハイネセン)から、想定戦域であるアスターテまでの進撃路も、隘路における通過時間が問題になってきます。

アスターテ派遣艦隊を三分するという分進合撃戦略は、並列的に存在する隘路を迅速に通過するための、対処的戦略であった可能性は否定できません。

 

後年のアムリッツァに連なる帝国領侵攻作戦の場合とは異なり、既に帝国軍艦隊は迫りつつありました。

想定戦場に迅速に邀撃戦力を移動させるために3つの「回廊」に分散させる必要があったとするならば、同盟軍の「分進」戦略には、一定の合理性があったと考えられるでしょう。

 

 

街道における「行軍長径」そのものの問題こそ宇宙では無関係ですが、大軍が隘路を通過するために拘束される時間的ロスから免れることを考慮すれば、宇宙戦においても分進合撃策は、戦略機動上、有力な選択肢として考慮されて然るべきだったでしょう。

 

 

引き続き、本稿では同盟軍の採った分進合撃策に合理性があったかについての考察を進めたいと思います。

次回は、隘路の存在と同様に、大艦隊を戦略機動させる際に問題となる、補給と兵站に焦点を当てて論考してみたいと思います。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

【銀英伝】何故アスターテで同盟軍が外線戦術を使用したか問題 #銀英伝

とりあえず、藤崎版銀英伝を読んでいるんですが。

 

英伝語りの劈頭、アスターテのお話。

 

3個艦隊で包囲殲滅を志向した同盟軍に対して、ラインハルトが各個撃破戦術でこれに臨み、2個艦隊までをも撃破したけれど、指揮権を継承したヤンが残り1個艦隊を率いて奮戦、辛くも星系を維持し得た、というアレですね。

 

バージョンによって語り口に差はあれど、この戦いを期に、ラインハルトもヤンもお互いのことを認め合うに至る、決定的な直接対決のその初戦にあたる戦いにあたります。

 

ですが、この戦い。

一見して、決定的に不自然なことが一つありまして。

同盟軍が、なぜ戦力分散の愚を犯してしまったのか、という点であります。

 

アスターテは不期遭遇戦ではありません。

同盟軍は、侵攻してきた帝国軍を迎え撃つに、敵に倍する戦力を準備して、この迎撃を目指しました。

これは、戦略上は極めてうまく対処したと言えるでしょう。しかし、戦術的には大敗を喫してしまった。同盟滅亡の端緒ともいえる結果をもたらしてしまったわけです。

 

同盟軍とて、軍事的無能な集団ではあり得ません。近代的な軍制を持っており、億単位の将兵を抱える軍事組織を運用できている。士官学校を始め、教育・研究機関も持っており、一定規模の予算を持って運営されているわけです。

であるならば、接敵した時点で、各艦隊が相互支援の難しい態勢たることを余儀なくされた原因が、いずこかにあったと解するべきでしょう。

本稿の趣旨は、その原因について、考察を試みてみたいというものであります。

 

第1回にあたる今回のテーマは、論点の洗い出しにあります。

なぜならば、現段階で本稿の著者が結論めいたものを導出できていないからであります。

 

 

疑問 : 宇宙戦における分進合撃策を採る積極的な理由は何か?

分進合撃策とは、戦略的に複数の進撃路に戦力を分散し、想定戦場に適時的に集中させる戦略を言います。

史上、分進合撃の採用例には暇がありません。日本の戦国時代における、著名な戦いだけでも、以下のような例が挙げられます。

桶狭間合戦における、今川軍の戦略
関ケ原の役における、徳川軍の戦略

前者は織田信長による斬首戦術、後者は真田昌幸による拠点防衛戦術によって、破綻させられています。

では、なぜ圧倒的な戦力を要する陣営が、戦力分散の愚、各個撃破のリスクをを犯してまで、進撃路を分散させたのか、という点です。

 

genzui.hatenadiary.jpこれについては、先日、軽く論考を試みましたので、当該記事を参照いただければと思います。

 

さて。ここでお気づきかと思いますが、分進合撃策の目的は、陸戦における行軍長径の増大がもたらすデメリットの解消にあるわけです。

恒星系間戦争である、銀英伝的戦争の世界において、分進合撃策に、是とする合理性が存在し得ないのではないか?

これが、一見して我々が感じる疑問でありましょう。

 

分進合撃策によって解消したいデメリットが、そもそも宇宙戦争においては存在しないのではないか?というわけです。

 

陸戦であれば、地形上の「街道」という要素が重要なのは理解し得るでしょう。

しかし、海上・航空・宇宙空間における輸送ルートの自由度を考えるに、進撃路が限定されるかされないか、という点において、分進合撃策を採る積極的理由が存在するとは考えにくいのです。

 

3次元空間における戦術論は、20世紀の戦争において、大いにその発展をみました。
だからこそ疑問に感じるわけです。

「航路を自由に設定できる戦争において、『補給線』という概念が陸戦におけるそれと同等に扱われてよいのだろうか?」という疑問であります。

 

英伝から、戦術・戦略論に興味を広げた人間としては、避けては通れないテーマと言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

一応、補足しておきますが、本稿では、田中芳樹の考証が甘いとか、そういう批判をする意図は全くありません。銀英伝に描かれていることはすべて史実であり、我々が目にできる物語は、すべてその叙述のバージョン違いなのである、という前提に立って書かれていると思っていただければ。

 

 

分進合撃のメリットとは何か? #戦記物を楽しむために知っていたほうが良いかもしれないこと

 

ググればわかりますが、戦略機動が動力化される以前においては、戦域間移動の手段は陸上の街道における歩兵機動がメインでした。要は、主力たる歩兵が、列を作って歩いて行進するわけです。

この前提に立った時、万単位の兵士が徒歩でどの程度の距離を移動できるか?について、いかに制約があったのかという点に気付くはずです。整備された街道の道幅によって、戦略的機動力にどれほどの差がついたかは、簡単なことを想像すれば合点がいきます。

道幅4mの街道を2列縦隊で進む場合と、道幅6mの街道を4列縦隊で進む場合と。

後者のほうが、同じ時間で倍の兵力を移動させることができると理解できるでしょう。

また、4万人の兵力が徒歩で行軍することを考えてみます。4列縦隊で、前の兵士との距離を1m保って、時速5キロで徒歩行軍するとしましょう。
この行列の先頭と末尾の距離は単純計算で1万m。つまり10kmということになります。時速5kmで進軍するわけですから、とある地点をその軍隊が通過しきるだけで2時間かかる、という計算になります。

 

つまり、不期遭遇戦においては、4万の兵力が戦場に集結するのに2時間かかる、ということです。2時間もの間、4万の軍勢を要する側は、少なからぬ遊兵を抱えている、ということと同義です。

 

では、想定戦場と想定集結日を戦略的に想定できる場合はどうでしょうか。

いくつもの街道を分散して使用することができれば、その分だけ迅速に兵力の移動、展開が可能になろうことはお分かりいただけると思います。

 

つまり、分進合撃とは、行軍長径が長大になる陸戦的戦略機動における弱点を補うための運用的解決策と理解すべきなのです。

 

 

 

 

・・・たぶん。

 

 

【いつの間にか終わってた】 シンカリオンに見るリアリティレベル

 

シンカリオン、終わってたっぽい。
ジャスト今、残りエピソードを消化中なわけですが、何となく感じたことを、酔いに任せて垂れ流してみます。

 

シンカリオンって、コテコテのスーパーロボットアニメなわけです。

 

けど、何とも言えぬリアリティがある。

 

これって、実在の鉄道網、特にJRを下敷きに舞台設計が作られているから、我々の住むリアル世界と地続き感があるわけで。

 

現実を生きている我々の世界が下敷きであれば、荒唐無稽な設定や物語、設定を積み上げたとしても、謎のリアリティが生まれるわけです。

 

全くの架空世界で考証を重ねるよりも、説明も楽だし、共感も得られる。

古くはゴジラが生み出し、エヴァシンゴジラが決定づけたこのフレームは、実は鉄板なんじゃないだろうか。

 

全くの架空世界、作者の考証力が問われていて、頑張ってほしいんですけどねえ。。